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日記 n.p.s

君島大空のno public soundsが本当に素晴らしい。ハードロックからフューチャーベースから縦横無尽なジャンルの行き来と、それを貫くストーリーの美しさ、たまらんですね。

no public soundsというタイトルには最近ずっと考えている、というかずっと念頭にある感情を喚起される部分がある。このタイトルは、映帶する煙の最後の曲にあるように、「僕にしか聞こえない言葉」ということだと思うんだけど、それはおそらく2人の世界でしか伝わらない言葉ということで、そういうものが増えていく美しさは、その言葉が行き場をなくしたときの虚しさもセットで知っているような気がする。

星野源の肌、あの歌詞はすごく好きだけど、音楽による相互理解の幻想と、触れ合いによる相互理解の幻想はよく似ていて、いろんなことを伝えることを怠ってそういうものに頼ってしまいたくなる。実際のコミュニケーションなんて、言葉にしなければ伝わらないものばかりなのに、言葉にすることで失われるディティール、生まれる誤解、そういったものを恐れている。小沢健二の東大での講義で話されたことにも通じるように、言葉というのはどこまでもピクセルアートのようで物事の複雑性を掬い上げられない。フリッパーズギターは言葉が伝えられることの限界を歌っていて、それに共感する学生時代を自分は過ごしたけど、その限界に絶望するのはもっと伝えることへの奮闘を経てからでもいいんじゃないかと今は思っている。何かを表出することはそれが伝わらずに傷つくことと表裏で、でも知識や前提が共有され、自分の言葉が伝わる場所でまで理解されるわけがないってはじめから諦める必要はないなと思う。

no public soundsに感動して言葉を指向するのもおかしな話だけど、今まで自分がプライベートかつテレパシーのようなコミュニケーションばかり求めていたのはよくないなっても思ったので…